喜び入る喜入町は、明治維新の偉人 小松帯刀(肝付尚五郎)・伊牟田尚平ゆかりの地です。肝付家御仮屋跡・肝付家歴代の墓地・伊牟田尚平誕生地&墓地、そして喜入町の史跡などを写真や地図でご案内します。風光明媚な喜び入る喜入町には温泉プールもある道の駅喜入があります。散策後にお休みいただけます。おじゃったもんせ♪
NHK大河ドラマ"篤姫"の友 肝付尚五郎さん(小松帯刀公)が暮らした喜入領主肝付家御仮屋跡です。当時の面影を残す石垣です。
肝付家御仮屋跡(喜入小学校)へのアクセス 1835 喜入領主肝付兼善の子として誕生。母は島津久貫(忠寛?)の娘。幼名 肝付尚五郎兼才。 1856 吉利領主小松家の養子となり小松帯刀清廉と改める。 1858 当番頭 1861 御側役勤 島津久光に仕える。 1863 家老職 その後、西郷隆盛・大久保利通・坂本龍馬等と共に大政奉還・王政復古の大偉業に尽力する。 1868 徴子参与職 その後外交官副知事になる。 1870 病死。36歳。幻の宰相(総理大臣)といわれています。 (ネット・喜入町郷土誌参照) |
喜入町の中世時代・近世時代(肝付氏時代) | |
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室町時代 | 1413年 島津久豊と伊集院頼久の戦い 久豊が勝利し「給黎」を「喜入」と改める。 |
戦国時代 | 1495年 初代喜入氏 島津五郎三郎若狭守忠弘 2代 頼久 3代 忠誉 4代 忠俊 5代 季久 6代 久道 1558年 島津貴久の厳命により島津姓を名乗ることを禁じ、その領地の地名の名字を名乗ることになる。 5代 季久より喜入氏を名乗る。 1595年 封地替えにより加治木・溝辺・身躰堂の領主 肝付三郎五郎兼三(伊集院兼三)が領主となる。 (喜入氏は鹿籠(現枕崎市)に移る) |
江戸時代 |
喜入改封時初代 肝付三郎五郎兼三 2代 肝付兼篤 3代 肝付兼武 4代 肝付兼屋 居館を旧麓から麓(現喜入小学校)に移す 兼屋婦人の墓 萬松山清涼院跡 (島津氏18代当主薩摩藩初代藩主 島津家久の娘 法名芳屋雲英庵主清涼院殿) 5代 肝付久兼 6代 肝付兼柄 7代 肝付兼逵 8代 肝付兼伯 9代 肝付兼満 10代 肝付兼般 11代 肝付兼善 小松帯刀(肝付尚五郎兼才)の父 12代 肝付兼両 小松帯刀(肝付尚五郎兼才)の兄 13代 肝付兼物 肝付家墓地には3代 〜 12代までの領主と一族が眠っています。 |